July 03, 2009
さらばGibson。。。また逢おう。。。
またまた久しぶりの投稿となってしまいました。。。。
さて、さて、前回の更新からいろいろとありました。その中でも、このブログ上でも何度も登場してきた、1969年製のギブスンEB-3(写真左)を先日手放しました。
私にとって、このベースはいうまでもなく学生時代から憬れた、Creamのジャック・ブルースの相棒だったことが、私にとって、長年このベースに対してのこだわりというか、執着というか、そのような思いが、幾度となく、この手の楽器に導かれたことはいうまでもないわけです。
昨年には、初めて生で、ジャック・ブルースも観ました。青山のブルーノートでした。今の彼は、ギブスンではなく、ワーウィックのフレットレスがメインで、もう20年近く彼の相棒なんですね。。。この時も、このベース1本でした。。。
このライブを観て、今の私のやっている音楽とだいぶ離れてしまっているような気もしました。音楽は、人間のやる生業なので、やっぱり変わっていくものですね。彼を目指してベースをやってきたのに、今はなんとなく、違う音楽を演奏しているというか。。。。
なんとなく、このベースへのこだわりが軽減したのが一つの背景で、先月末、ちょっと身銭が必要になったので、2年前に購入した新大久保のビンテージ屋さんで買い取ってもらいました。
けして、音が気に入らなかった、とか、そういうわけではありません。手放す直後まで、ブルージーで渋い音を鳴らしていました。。。。
私なんかよりも、もっといいベーシストの方にもらわれていくことも、このギブスンにとってはいいと思い、気持ちよく手放しました。買取金額もありがたかったです。。。
しばらくは、このEB-3には自分自身のベクトルは向かないような気がします。それほど、気持ちが離れたのもあるし、これまたさみしいもんですね。。。
現在のベース所有は4本。人生で初めて買った、フェンジャパのジャズベース(フレットレスに改造)、そして人生2本目のオーヴィルEB-3(写真右)、6年前のプレシジョン・アメデラと、最近仕事の絡みで導入した、Rob Allenのフレットレス(下の写真)ですね。。。。
男は、こだわりを捨てて、シンプルに生きたい!!
今の私の心境です。。。。
さて、長らくこの、ブルースマンのブルージーな話を読んでいただきましてありがとうございました。ここ数年は忙しさにかまけて、すっかり筆無精になりました。
この更新をもって、このブログの更新を一旦終了いたします。
読んでいただいた全ての方々に。。。
ほんとうにありがとうございます。
更新終了後もサイトは開けた状態にしておきますので、お時間がありましたら是非とものぞいてください。よろしくお願いします。
今後は、仕事でブログを書いていかなくてはならないので、そちらの方も皆様に是非とも読んでいただきたいです。まだどのようなものにするかは決まっていないのですが、三味線関連のもので、いろいろと紹介していきたいと思います。その際はまたこのブログ上に書かせていただきますね。。。
また、このブログを再開するときは、ギブスンのEB-3をよたび!!手に入れた時かもしれません。。。
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コメント数 = 621件
みなさま、ほんとうにありがとうございました!!
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May 06, 2009
シャッフルについて
またまた久しぶりの更新となりました。
近頃は、片山のライブも週一のペースがここ何ヶ月間か続いていて、いろんなお客さんに囲まれて音楽を演奏する機会に恵まれて、とても光栄で幸せこのうえない日々を送っております。
ライブは、2部構成が多く、前半後半それぞれ40分〜60分をこなしていて、計2時間近く演奏をしています。私は、アコースティックギターとベースギターを交互に持ちかえながら、スロウな曲やテンポのある曲等をバッキングしているのです。
もう4年ほど前ですが、平井のあるとべんりの周年記念ライブにベーシストとして出演するためにリハーサルや個人での練習に追われていた日々がありました。この時に、運指側(左手)の小指が腱鞘炎になってしまい、痛みとともに動きが円滑でなくなってしまた事がありました。あれから年月が過ぎ、あの時よりも演奏する機会は増えているものの、フィンガリング側の手指が痛むことはなくなりました。これはおそらく、フィンガリングはあの頃よりも複雑ではないのだと思います。
実は、最近は、ピッキング側(右手)の肘や腕などの筋が慢性的に張るようになりました。時折鈍痛も伴っています。
この原因は、明らかに沖縄民謡の独特のリズムで、カチャーシー等に頻出する早弾きと呼ばれる曲でのバッキングだと思います。
これは、いわゆる3連中抜きのいわゆるシャッフルというリズムに近いもので、私ももともとブルーズミュージックを主に演奏してきたので、この音楽要素をマッチングさせるのにはとても好都合だったわけです。
しかしながら、デルタブルース等のシャッフル(しばしばウォーキングベースと呼ばれますね)に比べると、唐船どーい等のカチャーシー定番曲のシャッフルは明らかにテンポが速いと思います。
このテンポの速さに、私自身がまだ耐久できていないということでしょうか。今日のエントリーではこのシャッフルについて書いてみようと思います。
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私がまず、ブルースのシャッフルをしかと認識したのは大学時代にバンド活動を始めた頃でした。当時クラプトンの有名なグラミーアルバムのこれ↓

Eric Clapton: From the Album Eric Clapton Unplugged
クチコミを見る
このアルバムまるまるのバンド譜で、2曲目のBefore you accuse meという曲のギタータブ譜で、、、、、、
続きを読む
近頃は、片山のライブも週一のペースがここ何ヶ月間か続いていて、いろんなお客さんに囲まれて音楽を演奏する機会に恵まれて、とても光栄で幸せこのうえない日々を送っております。
ライブは、2部構成が多く、前半後半それぞれ40分〜60分をこなしていて、計2時間近く演奏をしています。私は、アコースティックギターとベースギターを交互に持ちかえながら、スロウな曲やテンポのある曲等をバッキングしているのです。
もう4年ほど前ですが、平井のあるとべんりの周年記念ライブにベーシストとして出演するためにリハーサルや個人での練習に追われていた日々がありました。この時に、運指側(左手)の小指が腱鞘炎になってしまい、痛みとともに動きが円滑でなくなってしまた事がありました。あれから年月が過ぎ、あの時よりも演奏する機会は増えているものの、フィンガリング側の手指が痛むことはなくなりました。これはおそらく、フィンガリングはあの頃よりも複雑ではないのだと思います。
実は、最近は、ピッキング側(右手)の肘や腕などの筋が慢性的に張るようになりました。時折鈍痛も伴っています。
この原因は、明らかに沖縄民謡の独特のリズムで、カチャーシー等に頻出する早弾きと呼ばれる曲でのバッキングだと思います。
これは、いわゆる3連中抜きのいわゆるシャッフルというリズムに近いもので、私ももともとブルーズミュージックを主に演奏してきたので、この音楽要素をマッチングさせるのにはとても好都合だったわけです。
しかしながら、デルタブルース等のシャッフル(しばしばウォーキングベースと呼ばれますね)に比べると、唐船どーい等のカチャーシー定番曲のシャッフルは明らかにテンポが速いと思います。
このテンポの速さに、私自身がまだ耐久できていないということでしょうか。今日のエントリーではこのシャッフルについて書いてみようと思います。
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私がまず、ブルースのシャッフルをしかと認識したのは大学時代にバンド活動を始めた頃でした。当時クラプトンの有名なグラミーアルバムのこれ↓

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このアルバムまるまるのバンド譜で、2曲目のBefore you accuse meという曲のギタータブ譜で、、、、、、
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April 24, 2009
ジョン・ハモンド
表題には付いていませんが、正式にはジョン・ハモンド・ジュニア。
彼の父親は、コロンビアの有名なプロデューサーで、ロバート・ジョンソンからボブ・ディランまで手掛けた、アメリカンミュージックの重鎮。
最近はYou Tubeで音楽の受け取り方がすっかり変わりましたね。
検索窓に見たい・聴きたいミュージシャンをタイプしたら、いろいろと出てきます。
この白人のブルーズマンは、10年前から本当に大好きで、スライドギターやブルーズハープも含め、とても素敵です!!
今回見つけた動画では、ホルダーでぶら下げたハープソロからイントロが始まり、荒々しいギターのステディーベースをプレイしていたら、、、
どうやら5弦(A弦)が切れたようです。。。
私らもライブ中に弦が切れることはよくあるのですが、このEのブルーズをプレイする際に、やっぱりAのベース弦は無くてはならないもの・・
Mr.ハモンドは演奏を止め、「Oh,No!!」と叫び、速やかに弦交換に。。。
この弦を取り換える作業も、ローディーに頼るでもなく、ひたすら速やかな作業がこの動画に映し出されていますね。。。
ラジオペンチを片手に、紙袋から弦を取り出す姿がアップで映ってます。
ベテランミュージシャンならではの、速やかなトラブルというか、、作業中もMr.ハモンドは笑みを浮かべながら、弦を交換しています。
準備が整うと、マイクをささっと元に戻し、ホルダーのハープを鳴らしながらチューニング。。。オウディエンスに軽く冗談を浴びせながら、またディープなブルーズの世界に戻してくれます。。。
私も、このようなミュージシャンでありたいと思う次第です。
一人でトラブルに見舞われながらも、難なく元の深い世界に引き戻せるような。。。素晴らしい映像ですね。。。。
April 06, 2009
音の結束
既に録音済みのベーシックをプロツールスのまんま持ち込み、そこから計7トラックをしまぶくろでダビング。
このような録音は私にとっても初めての経験なので、どんな風になるのか。。。。延べ13人あまりがレコーディングに参加するので、全員分のヘッドフォンがあるわけはなく、モニター環境も、なるだけ被りの少ない方法を模索して、この日に準備してきたのです。
準備はもちろん私だけではなく、教室の生徒さんたちも、毎週土曜のお稽古では用意したベーシックトラックのCDをオケにしながら、思いのほかテンポの速い楽曲に戸惑いながらも、それでもここ2か月あまりで万全の準備をしていただきました。。。。
思いの外、レコーディングは、4人ずつの3グループの三線ダビング、さらには、女性男性に分かれてのコーラスダビング、さらには、エンディングのお囃子パートのダビングを、スピーディーに2時間ほどで終えたのです。。。。
ダビングの度にプレイバックして、みんなに聴いてもらうんですが、その度に楽曲がどんどん盛り上がっていく姿を垣間見て、興奮と感動に包まれた現場の雰囲気がとても最高でした!!
一夜明けて、昼過ぎに浅草の事務所でラフミックスをしてみました。
あらためて、師匠たる片山の分身なのか、生徒のみなさんの唄三線は息の合った結束力のあるグルーヴがあり、さすが、同志たちの音楽というのはこういう形で実を結ぶものなんだと、本当に感服しました。この楽曲はアルバムでもビッグトラックとなることでしょう!!
マイクは、4人の三線グループのダビングの際は単一志向モード。その後コーラス録りは双指向、最後のお囃子の録りは、全体の雰囲気(外野の笑い声さえも欲しかった)が欲しく、無指向に設定。全てモノラルでの録音。位相のズレもなく、元々のベーシックトラックに馴染んでくれました。もちろん、すべてのトラックに関わった人たちの音楽性が、とても素晴らしいのはいうまでもありません。。。。
March 16, 2009
阿佐ヶ谷プレステージで沖縄三線ライブ
久しぶりに阿佐ヶ谷に行ってきた。プレステージというお店は、地元では仮装マスター“タッキー”のお店として知られているカラオケ酒場で、3年前に片山恵理を講師として三線の教室を開催したことがあった。
このお店にはいろいろな思い出があって、荻窪に事務所を構えていた06年頃には足繁く通ったものである。
今回のライブ開催のきっかけになったのは、もちろん、その頃からの人間関係が大きいわけだが、それでもこれからここ阿佐ヶ谷で沖縄の音楽文化を広めていこうという大きな命題が備わりつつあるからで、その一つとして今回のライブがあった。
3年前の教室開催時には、まだまだ沖縄音楽の入り口部分であったけれど、この3年前の教室をきっかけとしてこれ以降今に至るまで、三線の個人レッスンを熱心に続けている方々がおられる。
浅草に拠点を移してからは、私自身はそれほど阿佐ヶ谷という街には縁遠くなってしまっていたが、この沖縄音楽という一つの文化の下に、細々ながらも3年間、教える側も稽古を受ける側も熱心に音楽をしていたということが、昨日のライブの時に思い知らされた。
やはり、音楽をやるのは人間であり、そして人間と人間の繋がりなのだということをあらためて思い知らされた。
ライブは片山恵理の歌三線に、私のギター&ベース伴奏といういつものスタイルだったが、3年前にはこのような音楽マテリアル(このような形でのライブとしての)はまだ無かった。この頃は、私はこのお店の常連さんだったり、いろんな繋がりを介して、阿佐ヶ谷JAZZストリートの告知宣伝のために、駅前のロータリーでベースやハーモニカをプレイしていた。夏の暑い日の出来事だった。じっとりと汗をかきながら、J-Popをプレイしていたことを、昨日のライブ中にふと思い出していた。
また、このお店の常連さんスタッフに、まだまだ売上の少なかったわが社の三線小物を買っていただいた。06年の連休から夏ごろにかけてだろうか。。。
今こうして、再びこのお店でライブが出来た時に、あの頃と比べると私はいろんな人々、いろんな商品、いろんなコンテンツを身につけて、このお店に戻ってきていることにあらためて気づいた。
このライブ一つにとってみても、持ち込み用のPA機材(スピーカー2台)、そして、腕のいい民謡歌手のショウ、さらには、来ていただいたお弟子さん、さらには、これから三線を始めようとしている人たちに紹介できる商材や教室などの案内。いろんなコンテンツをこの3年間に開発して、そして、しっかりと携えて、お客様に自信をもってお届けできることを実感した。
1周した感もあるこの実感を、これからしっかりとモノにしていきたいし、どんどん沖縄音楽の普及に貢献していけたらと、ライブが終わってからの車中で思い描いていた。
このお店にはいろいろな思い出があって、荻窪に事務所を構えていた06年頃には足繁く通ったものである。
今回のライブ開催のきっかけになったのは、もちろん、その頃からの人間関係が大きいわけだが、それでもこれからここ阿佐ヶ谷で沖縄の音楽文化を広めていこうという大きな命題が備わりつつあるからで、その一つとして今回のライブがあった。
3年前の教室開催時には、まだまだ沖縄音楽の入り口部分であったけれど、この3年前の教室をきっかけとしてこれ以降今に至るまで、三線の個人レッスンを熱心に続けている方々がおられる。
浅草に拠点を移してからは、私自身はそれほど阿佐ヶ谷という街には縁遠くなってしまっていたが、この沖縄音楽という一つの文化の下に、細々ながらも3年間、教える側も稽古を受ける側も熱心に音楽をしていたということが、昨日のライブの時に思い知らされた。
やはり、音楽をやるのは人間であり、そして人間と人間の繋がりなのだということをあらためて思い知らされた。
ライブは片山恵理の歌三線に、私のギター&ベース伴奏といういつものスタイルだったが、3年前にはこのような音楽マテリアル(このような形でのライブとしての)はまだ無かった。この頃は、私はこのお店の常連さんだったり、いろんな繋がりを介して、阿佐ヶ谷JAZZストリートの告知宣伝のために、駅前のロータリーでベースやハーモニカをプレイしていた。夏の暑い日の出来事だった。じっとりと汗をかきながら、J-Popをプレイしていたことを、昨日のライブ中にふと思い出していた。
また、このお店の常連さんスタッフに、まだまだ売上の少なかったわが社の三線小物を買っていただいた。06年の連休から夏ごろにかけてだろうか。。。
今こうして、再びこのお店でライブが出来た時に、あの頃と比べると私はいろんな人々、いろんな商品、いろんなコンテンツを身につけて、このお店に戻ってきていることにあらためて気づいた。
このライブ一つにとってみても、持ち込み用のPA機材(スピーカー2台)、そして、腕のいい民謡歌手のショウ、さらには、来ていただいたお弟子さん、さらには、これから三線を始めようとしている人たちに紹介できる商材や教室などの案内。いろんなコンテンツをこの3年間に開発して、そして、しっかりと携えて、お客様に自信をもってお届けできることを実感した。
1周した感もあるこの実感を、これからしっかりとモノにしていきたいし、どんどん沖縄音楽の普及に貢献していけたらと、ライブが終わってからの車中で思い描いていた。




