July 27, 2005
唯一の純邦楽専門のライブハウス、和音が閉店。。。。
最近、純邦楽関連のサイトを漁って検索している。私も、ここ4年程、和楽器/純邦楽の仕事から遠ざかっているので、現在の状況を、単に知ろうとしているんです。そんな純邦楽雑誌の雄、邦楽ジャーナルのサイトを観ていたら、ショッキングなニュースを知りました。邦楽ジャーナルが主催していた、日暮里の専門ライブハウス「和音」が、6月末日をもって閉店したという。。。。
ええ、なぜ???!
結構、ショックでした。。。
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早速、表題の7月号に、この和音の閉幕について特集されているというので、近隣の書店に電話を掛け、まだ在庫のあるお店を漁った。。。
そして、浅草ヨーロー堂に、まだ、この7月号があるというので、急いで、自転車で自宅を出発!!
両国→厩橋→蔵前→国際通りを経て、雷門に着いた。。。
そして、通りのヨーロー堂で、名前を告げ、購入。再び、急いで、今度は、東武浅草駅→吾妻橋→清澄通り→両国国技館を通り、両国駅構内のロンドンパブで、ビールにそらまめのセットを頼み、早速、この7月号を読み始めた。。。
おそらく、99年開店当初から、01年までの頃には、このような邦楽専門のライブハウスは、非常に画期的な試みだったに違いない。ところが、この頃から、02年の義務教育への和楽器導入、数年来のウチナーミュージックの台頭等の影響で、かえって、普通のライブハウスでの、和楽器ライブが当たり前のものとなってきた。。そのような背景で、この「和音」の出演者達が、各地のライブハウスで演奏し始め、メジャー化していき、ライブハウスとしての役割に終止符を打ったようだ。
実は、私も、山野楽器時代に、このライブハウスにて、仕事をしたことがある。当時、取り仕切っていた、高木夕子さんの協力で、このライブハウスで初めてという、沖縄島唄のライブ&ワークショップを企画/開催したのだ。
沖縄より、旧知の古典演奏家、宮城克年師をお招きし、前半にライブを、そして、後半に、お客様に、三線の体験講座なるものを開催。
そういえば、この三線講座の為に、倉庫にあった三線の在庫を、自らのステーションワゴンで往復しながら搬入したのを覚えている。。。
さらに、集客の為に、微々たるリストに対して、はがきを送った。たしか、たった30人ほどのリストに。。。。
案の定、この時の集客は、20人前後の少数に終った。でも、高木さんをはじめ、後半のワークショップでは、来ていただいたお客様とスタッフ全員に、三線を手渡し、体験していただく事が出来たんですね。。とても、印象深い仕事でした。。。
この「和音」には、近所の芸大の邦楽科の生徒達が出入りしていた。周りは、日暮里のいかがわしいピンサロ&ラブホ街。それでも、この高尚な音楽家達の志については、熱いものが保たれていたのでしょう。。
この邦楽ジャーナルの記事、30人の演奏家達(錚々たるメンバー〜一噌幸弘(横笛)、藤原道山(尺八)、三橋貴風(尺八)、後藤幸裕(琵琶)等)が、思い出を語っているが、ほとんどの演奏家達が、この「和音」の復活を願っている!!
もちろん、わたしも。。。。
そして、浅草ヨーロー堂に、まだ、この7月号があるというので、急いで、自転車で自宅を出発!!
両国→厩橋→蔵前→国際通りを経て、雷門に着いた。。。
そして、通りのヨーロー堂で、名前を告げ、購入。再び、急いで、今度は、東武浅草駅→吾妻橋→清澄通り→両国国技館を通り、両国駅構内のロンドンパブで、ビールにそらまめのセットを頼み、早速、この7月号を読み始めた。。。
おそらく、99年開店当初から、01年までの頃には、このような邦楽専門のライブハウスは、非常に画期的な試みだったに違いない。ところが、この頃から、02年の義務教育への和楽器導入、数年来のウチナーミュージックの台頭等の影響で、かえって、普通のライブハウスでの、和楽器ライブが当たり前のものとなってきた。。そのような背景で、この「和音」の出演者達が、各地のライブハウスで演奏し始め、メジャー化していき、ライブハウスとしての役割に終止符を打ったようだ。
実は、私も、山野楽器時代に、このライブハウスにて、仕事をしたことがある。当時、取り仕切っていた、高木夕子さんの協力で、このライブハウスで初めてという、沖縄島唄のライブ&ワークショップを企画/開催したのだ。
沖縄より、旧知の古典演奏家、宮城克年師をお招きし、前半にライブを、そして、後半に、お客様に、三線の体験講座なるものを開催。
そういえば、この三線講座の為に、倉庫にあった三線の在庫を、自らのステーションワゴンで往復しながら搬入したのを覚えている。。。
さらに、集客の為に、微々たるリストに対して、はがきを送った。たしか、たった30人ほどのリストに。。。。
案の定、この時の集客は、20人前後の少数に終った。でも、高木さんをはじめ、後半のワークショップでは、来ていただいたお客様とスタッフ全員に、三線を手渡し、体験していただく事が出来たんですね。。とても、印象深い仕事でした。。。
この「和音」には、近所の芸大の邦楽科の生徒達が出入りしていた。周りは、日暮里のいかがわしいピンサロ&ラブホ街。それでも、この高尚な音楽家達の志については、熱いものが保たれていたのでしょう。。
この邦楽ジャーナルの記事、30人の演奏家達(錚々たるメンバー〜一噌幸弘(横笛)、藤原道山(尺八)、三橋貴風(尺八)、後藤幸裕(琵琶)等)が、思い出を語っているが、ほとんどの演奏家達が、この「和音」の復活を願っている!!
もちろん、わたしも。。。。








